最初に『たりないふたり』がドラマ化する聞いたとき、簡潔に言うと、キレた。
たりないふたりを、ドラマ化?
ふざけているのか?
たりないふたりの敵は「社会」である。
社会に馴染もうとして、馴染めなくて、苦しくて、藻掻いて、社会性がたりない2人の卑怯な戦い様だ。
誰も見てないような時間に隠れてコソコソ生き様をぶつけ合うからいいんだろうが。
それを、ドラマ、しかも『ブラッシュアップライフ』の後番組という注目度の高そうな時間帯だと?
なんだか私の大切な宝物を無理やり暴かれたような気持ちだった。
勝手に傷付いて独りよがりで目も当てられない。でも嫌だった。本当に。
それから少し後、山里亮太さんと若林正恭さんのエッセイをベースにしていると聞いて軽く溜飲を下した。
私は芸人さんのエッセイが好きだ。数冊しか読めていないが。
うん、山里さんと若林さんのエッセイは素晴らしいと思う。だから大丈夫。ドラマになるとは想像もしていなかったけど。うん。
「たりないふたりはスパイス程度だよね?」
嫌だ嫌だと幼児のように床でじたばたしていてもしょうがない。
たりない彼らは30代から40代へ、若かった私ももうアラサーだ。
大人ならば腹を決めねば。1話だけ見よう。嫌だったら続きは見ないし、おもしろかったら見る。それだけだ。
『だが、情熱はある』公式Twitterもフォローして、徐々に解禁される情報を読み込んで、エッセイを読んで、なんとなくラジオを聞き直した。
気持ちは万端である。鎧を全身に纏った気分。
さぁ、なんでもいいぞ。来い。
どっしりと構えて腕を組み、1話を見た。
最ッッッッッッッ高に面白い!!
鎧なんて10分ではじけ飛んでいた。
え、なんだあれ、すごいぞ。山里役・若林役というより本人がいるぞ。
主演2人の演技力を侮っていたつもりはない。これは言い切れる。けれど、「人間ってここまで他人なれるんだ!」と思った。モノマネではなかった。もう"山里亮太"と"若林正恭"だった。もちろん"春日俊彰"も。
すげぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そのあと私は感情のまま感想をぷらいべったーを開いた。
(実際は私の気付きポイントメモである。客観的に見れている気がしなくて「感想」とした。)
感想を書くためにドラマを再生するのだが、見るたびに気付く小ネタの多さ。すごい。
小物も細かい。絶対に気付けていないポイントある。なんだこのミッケ状態。すごいぞ。もっとしっかりラジオ記憶していたらよかった。
本人たちもラジオで怯えていて笑った。
「誰かリークしてねぇか!?」と若林さんが言ったとき、私はあなたの相方から聞いたのでは? と思ったが、春日さんも番組から聴取などはされてないらしい。
エッ、コワ。
監督は「本人たちは忘れているけどラジオで話している(意訳)」とツイートしていた。
エッ、スゴ。
どれだけ過去回を遡ったのだろう。もしかして2時間×600回以上あるラジオを全て聞いたのか? と思うほどだった。
役者さんも、監督も、小物も、ドラマに携わる方々も、ドラマを見る方々も、『情熱』が、すごい。
その熱のまま、12話まで走り抜けた。
もちろん美化されていたり、時系列があれ? と思った部分はある。「ほぼ実話」の"ほぼ"の部分である。
おもしろかった。
漫才の完全再現って、できるんだ。
お笑いで繋がっている彼らだから、彼らの面白さがダイレクトに伝わる漫才があるだけで説得力と没入感が大きく違う。
最終話は頭がおかしくなるかと思った。
11話まではエッセイ部分も多大に入っているのでまだ「読み物をドラマ化」したような感覚があった。
でも12話は違った。完全に「現実をドラマ化」していた。
数週間前に見た『DayDay』、ドラマ前に見た『午前0時の森』、撮影中に見た『若林さん差し入れのYoutube』。もしかしたら数日前の卵サンドも。
しかも、その感覚をTwitterのフォロワーたちと一緒に味わっている"リアル"に酔いそうだった。
彼らのエッセイは本であるけど、現実である。知識として知っている。でも体感するのとでは何百倍も違う。
ドラマの13話は存在しないけど彼らの13話はこれから続いていく。
ごめんなさい、ドラマ放送前から手のひらをギュルンギュルンに返します。
『たりないふたり』と『だが、情熱はある』に関わってくれた全ての方々に感謝を申し上げます。
楽しかった。面白かった。私の宝物がさらに質量を増やして戻ってきたような気分。
楽しいって、生きる活力だ。本当にありがとう。目の前の大きな課題を頑張れそうな気がする。
最高のドラマだった。ありがとう。
あ~あ!
たりないふたり、また漫才やってくれないかなぁ~~~!! 無理だろうなぁ~~~~~~!!
『明日のたりないふたり』が終わった後にソファで泣きながら思ったことと同じことを今思っている。
どこかの公園で漫才やってるなら、うん。見たい気持ちもあるけれど、まぁ、いっかぁ。
追記。
森本慎太郎くんについて思ったことを軽く記載したいと思う。
着地点もなく蛇足甚だしいので、ご覧いただかなくて全然構わない。あとで修正または削除する可能性があるが、とりあえず書きたくなったので。
いぬのような愛らしさと愛嬌と賢さと礼儀正しさと声の良さと元気さワイルドさ真っ直ぐさがまぁとにかくかわいくて最強の末っ子である。
世界に猫可愛がりされるべき存在だ。いぬだけど。(過激派思想)
そんな彼は山里さんを通して、初めて嫉妬を知ったと言っていた。
そんなこと、ある?ジャニーズなんて激しい競争社会のなかで生きて、そんなことある?
新規なので詳しくないけど先人方のブログ拝読した感じ、SixTONESって結構の苦労人だよね?
わからない。なぜなら私はジャニーズではないから。過激な競争社会に生きていないから。
私は疑っている。
「嫉妬を知らなかったんじゃなくて名前を付けなかっただけじゃないのか?」
慎太郎くんはきっと、人を憎むことを悪ととらえている善人である。
嫉妬は基本的にはマイナスの感情だ。蓋をしていたのだろう私は解釈した。
山里さん役を通して、慎太郎くんが嫉妬を覚えた。
マイナス感情の嫉妬を、プラスのエネルギーに変換する方法を身に着けた。
それって、ひょっとしてすごいことなのでは?
こっから森本慎太郎くんはそのエネルギーを使ってさらに飛躍しちゃうのでは?
芸能界のことなんて何もわからないけれどそう感じた。もちろん願望も籠っていると思う。
慎太郎くんは、フェザースティックのような存在だ。(Let it fire!)
誰かを触発させる力が強く、主にその力はグループ内に発揮される。
メンバーを誘ってメシ回を開催したり、2023年リーダーとして強権を発動しようとしたり。賢さと愛とパワーがなせる業である。
彼がいる限りSixTONESは団結して、どんどんと彼らの新境地を開拓していくのだろうな、と感じている。
楽曲方面でも、ポジショニングでも。『こっから』しかり。
森本慎太郎くんの今後も楽しみだし、SixTONESの将来も楽しみになってしまった。
すごいな、『だが、情熱はある』。
ワンタイトルだけでこんなに楽しみが増えてしまうのか。
森本慎太郎くんも、SixTONESも、もちろん髙橋海人くんも、King&Princeも、南海キャンディーズも、オードリーも。
どうなっちゃうんだろう。
彼らの13話をずっと追っていたいなぁ。